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ハバロ・カムチャッキー・ウラジオ・ナオトカ伝道

始 め に

1997年7月31日から8月17日まで、極東ロシアの4都市で伝道を行ないました。

先ず、副牧師が単身で7月31日に出発し、ハバロフスクとペテロパブロフスク・カムチャッキーに伝道し、8月10日にウラジオストックに戻り、この時点で牧師が出発して合流し、ウラジオストックとナオトカで伝道して、帰国するというスケジュールでした。

この伝道の資金には、4月27日に96歳で天に召された父榮蔵兄弟の遺産を兄弟で等分して分け合い、与えられた分をもって充てたのです。 この時は一旦、6月に行われた北海道大聖会の費用として用い、その後、ロシア人伝道のために用いたのです。

父は1920年(大正9年)、20歳で徴兵され、北海道の第7師団に属して軍務に就きましたが、初年兵として派遣されたのは、小樽から船に乗り、アムール川の河口に近いニコラエフスクでの対バルチザン作戦でした。 軍務に関わる事は話しませんでしたが、いつも思い出として話したのは、乗っていた船がアムール川で座礁し、動けなくなっていたところ、どこからともなく人が次々現れて「エイコーラ、エイコーラ・・・」とボルガの舟歌よろしく船を曳いてくれて助けてくれたのだと・・・。それまではロシア人は露助と思っていたが、とても良い人たちだったので見直したと・・・。ロシア人伝道をすることは自分にとっては、その恩返しでもあると思うと言って、私たちのロシア人伝道のために祈り、応援してくれました。それで、折も折、父の遺産をロシア人伝道にのために献げることは、主の御心に適い、逝きし天の父も喜んでくれると思ったのです。


◎ ハバロフスク伝道

この伝道の最初にハバロフスクに導かれたのは、この地の出身者である船員方が小樽港で救われたことと、時代は違いますが父の思いでを彷彿とさせるアムール川に面した街であることでもありました。ハバロフスクではAMETYSTホテルに宿をとり、飛行機の都合で行き帰りとも2日間の伝道でしたが、前年に救われたサムチェンコ兄弟やキス兄弟にホテルで会ったり、アムール川で3人が水と霊を受けました。

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             アムール川で兄弟方が洗礼を受けた


◎ ペテロパブロフスク・カムチャッキー伝道

8月3日は、ハバロフスクからオホーツク海の上空を3時間余りで横断し、カムチャッカ州の州都ペテロパブロフスク・カムチャッキーに移動しました。ここから小樽港に船が来ていて、救われた船員が大勢います。AVACHAホテルに宿をとり、ここでソローミン兄弟やパティレィエク兄弟とご家族、コボロィ兄弟と奥様、韓国系のパク姉妹、イオノバ姉妹、ブラセンコ兄弟など10名程の人たちと再会しました。またイワノフ兄弟がアワチャ湾で洗礼を受けたほか、3名の姉妹方が聖霊を受けました。

ここから小樽に来て救われたのち、車の水難事故で亡くなられた兄弟がいて、その母親と文通が続き、洗礼を受けるように勧めていましたが、出発の直前になってから、日本からあれこれ持ってきて欲しいとか、ロシア正教から離れられないとか本心を吐露しました。水と霊の福音伝道の目的から外れるので断りました。主が選んでいない人だったと思います。自宅を訪問し、会って救いを勧めましたが、結局救いに与りませんでした。伝道には良いことばかりあるとは限りません。でもこのことがあってカムチャッカに伝道に行けたのですから、神の許しの中にあったのだと思います。

8日にハバロフスクに戻り、再びAMETYSTホテルに入りました。翌日、連絡を取っていたイワレモフ兄弟が息子のアンドレー兄弟を連れてきたので、ウスリー川(アムール川の支流)で洗礼をしました。

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                  カムチャッカの兄弟、姉妹方


◎ ナオトカ伝道

10日は、牧師が札幌を発って、新潟経由でウラジオストックに入り、一足早く到着した副牧師と合流しました。ホテル・ウラジオストックに投宿しました。今回は、前回のタブンシーコフ兄弟には都合で会えず、新しい導きの下に進むことにし、翌日はビザをとっていたナオトカに2泊で行きました。ホテルがロマンさんという運転手付きのすばらしい車を用意してくれました。ナオトカへの国道は舗装したばかりで、対向車も殆どないので、ロマンさんは上機嫌でかなりのスピードが出ていました。

ナホトカでは、ニハイチック兄弟が訪ねてきて、自宅に案内してくれました。ここで母親に会い、聖霊を受けました。それから、友人のオズラズツォブ兄弟を紹介してくれました。水と霊の福音を話しました。すると、「ナオトカの市内案内をしましょう。それから、港付近の海ではなく、自分が知っている綺麗な海岸で洗礼を受けます」と言われるので、凡てお任せし、彼の車に乗りました。

港めぐりをしたり、あちらこちら見物したのですが、日本人墓地を案内してくれました。ナオトカは戦後、日本軍がシベリヤに抑留されたのち、舞鶴へ帰還する際に用いられた港です。酷寒のシベリヤで過酷な労働をさせられ、ここまで辿り着きながら、帰国を目前にして亡くなった人たちがこの墓地に葬られているのです。さぞ、無念だったろうなと思いを馳せました。今となっては身代わり洗礼以外に救いの道は残されていませんが、これほど多くの墓がここに在るとは、日本の殆どの人は知らないでしょう。暫し祈り心になりました。 今は互いに行き来できる時代になり、家の壁に「小樽、舞鶴、敦賀は、姉妹都市」と書かれた文字もありました。

市内を一通り巡ってから、目指す洗礼式場となる海岸へ行きました。そこは市街から遠く離れたブラート(兄弟)山とシストラー(姉妹)山との間を通って着いた砂浜の海岸でした。しかも遠浅です。夏なのに人はいません。目の前の海には2つの巨岩が立っています。正に絶景です。オズラズツォブ兄弟がここで洗礼を受けたいと言った意味が分かりました。福牧師とオズラズツォブ兄弟は海に入り、主イエス・キリストの御名によって水のバプテスマが為され、聖霊のバプテスマも受けました。ハレルヤ!(この写真は教会のホームページに用いています。)

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                   ナオトカの海で洗礼式 

ナオトカでは、ホテルの窓越しに教会が見え、いつもその側を通るので、訪ねてみました。若い牧師の案内で入ってみるとロシア正教とは違う感じなので尋ねると、バプテスト教会だと云うことでした。でも、扉も窓もみなステンドグラスがはめ込まれ、壁は聖画で埋め尽くされ、飾り立てていました。一見して、イコンのあるロシア正教会とは違うけれども、ここにも聖画はこんなにありますよ、と信者の心を繋ぎ止めているような感じを受けました。 「神は霊なり」とは、聖書の教えるところであって、教会には偶像は一切置かないのが本当ですが、ロシア正教では、ローマ・カトリックのように像を作って拝みはしない代わりに、聖画を拝しているのですから、50歩、100歩だと思いました。 この牧師には、日本から来た訳と、水と霊の福音を片言ながら伝えました。


◎ ウラジオストック伝道

2日間のナオトカ滞在を終えて、13日の夜にはウラジオストックに戻り、ウラジオストックホテルに入りました。
前もって日本からはがきを送ってあるりましたが、改めてホテルから電話をかけて連絡をとりました。思い通り願い通りにはなりませんでしたが、17日の帰国日までに6人の兄弟方が尋ねてきましたし、また自宅に訪問することもできました。会った方々はアレキシー兄弟、ボリシェンコ兄弟、ツエルイコ兄弟、キルサノフ兄弟、スコラパド兄弟、チュウプリン兄弟(代りに奥さんが)、アサノフ兄弟などです。スコラパド兄弟は、9歳の娘のリューボビちゃんと、生後4ヵ月のサーシャちゃんを連れてきて、海で洗礼式を行いました。

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             ウラジオストックの兄弟姉妹方

終 わ り に

これら極東ロシア4ヵ所を巡っての伝道で救われた人は、水と霊7名、洗礼だけ1名、聖霊だけ4名、再会した人たちは18名、合わせて30名の方々に主イエス:キリストの福音を伝えることができました。

8月17日に帰国し、新潟に到着しました。副牧師は、そこから帰札し、教会で23日の安息日礼拝と、24日の日曜聖会で伝道の証をしました。 一方、牧師は、他所を廻って後、8月21日~から24日まで広島県因島で開かれた瀬戸内海大聖会に出席して、このたびのロシア伝道の証をいたしました。共に主に用いられて感謝でした。 ハレルヤ!

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2015.07.16 / Top↑

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