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 ロシア人伝道

1992年(平成4年)の春頃から、北海道に住む私たちにとって身近な隣国であるロシアの人たちのことが気になり始め、御霊によって祈らされていた。

その少し前からソビエト連邦では、政治体制の改革運動がおこった。ペレストロイカ(立て直し)である。1985年に共産党書記長に就任したミハイル・ゴルバチョフが提唱し、実践したものである。そして、1991年にはソ連邦が解体し、ロシアをはじめ、15共和国家が出現した。

自由化の波が押し寄せたかのように、北海道の港に続々とロシアの船がやってきた。サハリンやウラジオストック、ナオトカ、更にはカムチャッカなどから、蟹やうに、木材を積んでやって来て、帰りには日本の中古車をこぼれんばかりに積んでいく民間船による貿易が始まった。

そういう人たちが来ていることは新聞、テレビで取り上げられ、しばしば耳にしていたのである。

事が始まったのは、こうである。

1992年の8月に、広島県因島の内海イエス之御霊教会で開かれた瀬戸内海大聖会に、道央教会から3名出席したのだが、この時参加したN姉妹に東京教会のある姉妹が「東京では、外国から来た船員さん方に伝道して、沢山救われていますよ。北海道でも小樽の港などにロシアの船員さん方がきていると思いますが、伝道していますか」と尋ねられたので、「していません」と答えると、「伝道したら良いですよ」と言われたというのである。
 
これで、火が付いた。帰ってきてから「うちの教会でも伝道しましょう」ということになった。でもロシア語は全く分からないし、どこから手をつけたら良いかもわからない。

すると、旭川から高速バスで教会に通っていたS姉妹が、これを聞き、旭川駅前の書店でロシア語の辞典を見つけて買ってきた。これを元にして、キリスト、神、教会、洗礼、聖霊、救いなど、伝道に関係する単語を選び出し、発音など分からないので、ロシア人にその文字を読んでもらうことにして、8月31日に副牧師2人と信者2人が1台の車に乗って小樽港に出かけたのである。

港に到着して、埠頭にいるロシア人に声をかけ、辞典を開いてその文字を見せると、読んで「ダー」(いいよ)と洗礼を受ける意志表示をしてくれた。その数6人であった。車は1台きりなので、タクシーを呼び、小樽の地理に詳しい運転手に、洗礼ができる海に連れて行ってくれるように頼むと、東小樽の海岸へ乗せて行ってくれた。そこは、海水浴ができるところであった。その日、ハバロフスク州のソビエッカヤ・ガーバニーから来たタビチヤ号の機関長始め6名の船員が、小樽でのロシア人伝道の初穂として水と霊のバプテスマを受けたのである。

伝道に行った4人は大喜びで帰ってきて、翌日も行くことになった。辞典の文字を綴り合せ「海へ行って洗礼を受けませんか」と短い文章にして紙に書き、これを見せて読んでもらうことにして、車2台で4人で出かけていった。すると、神様が働いてくださり、サハリンのポロナイスクや沿海州のナホトカから来た船員方が21人救われた。船長自らマイクを持って船内放送(洗礼を受けるように勧めてくれたのであろう)をすると、中からぞろぞろと船員方が出てきたので、海へ連れて行き、そこで聖霊待望会をし、主イエス・キリストの名によって洗礼をしたのであった。

こうして、小樽港に行くたびに水と霊が行われ、9月には100名ものロシア人が救いに与り、更に11月、12月と冬に向かう小樽の海岸で水と霊の全き救いが行われ、この年は46回、252名がイエス様によって救われたのである。

つたないロシア語の文書も、ロシアの船員方が 「ここは、こう書いたら良いよ」 という風に手直しをしてくださり、今も用いられている。

スパシーバ ありがとう!

「全世界を巡りて凡ての造られしものに福音を宣伝へよ。信じてバプテスマを受くる者は救はるべし」 マルコ伝16:15、16

        File0114.jpg 小樽でロシア船

       File0110.jpg 小樽・祝津港

 
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2015.03.24 / Top↑

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