上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--.--.-- / Top↑
  ベ ウ ラ の 地

生まれた街、札幌で教会を持つことになった私、思い考えると神の導き以外の何物でもないと思う。

父母の事は、以前、証-3で証を記したが、ここでもう一度ルーツを辿ってみると、

父榮蔵は、宮城県の生まれで、5歳の時に両親に連れられて北海道に渡ってきた。最初に住んだのは札幌の北隣の石狩の八幡という所だった。昔のこととて小学校に入ったのは10歳の時、良くできるからと言われて級長にされ、飛び級で翌年は3年生になった。あとは学校に行かせてもらえず、弟や妹の子守や野良仕事の手伝いをやらされ、出稼ぎや色々な仕事をして成人した。学歴が低い分、就職をしてから随分損をしたと言っていた。

母ヨシエの方は、父方の祖父は徳島県出身。材木問屋の末っ子で、働きぶりを見込まれ後継ぎにと言われていたのだが、先代が亡くなると長男が後を継いだので、県の移住政策に乗り、北海道空知管内に移ってきたのだった。一方母方の祖母は、奈良県十津川村の出身で、親の代に集中豪雨による大水害に遭い、移住先として空知管内に新十津川村を興してやってきたのだった。

父は、昭和2年に札幌市交通局の前身である札幌電気局に入社し、母とは見合い結婚であった。3年後に私が生まれた。兄弟姉妹8人が生まれたが、兄を含めて3人が夭折し、5人が健在である。

父は至極まじめな人で、34年間交通局で電車の運転や監督をし、この仕事一筋に進んで定年退職を迎えたのは、昭和36年のことであった。

支給された退職金で土地を買い、家を建てるべく、場所探しに大通りのターミナルからバスに乗った。自分では札幌市の西部に行こうと思っていたのだが、気が付くと東部に行くバスだった。こうなればもう神様にお任せしようと思って終点まで行った。そこで降りて、近所の店で「この辺りに土地を売っている地主はいませんか?」と尋ねると、「すぐそこの長浜さんが売っているので行ってごらん」と教えてくれた。

地主の長浜さんは、水田を作り、営農していたのだったが、札幌市の膨張に伴い、周辺が開けて団地ができたことなどあって、離農して宅地に転用し始めた所であった。

そこで、133坪の土地を買い、土地を二分して、片方に建坪26坪の一部中二階の家を立て、片方は花畑や家庭菜園にしたのである。大工は同じ教会の本間兄が請負ってくれた。

こうして20年経った。その間、父母は家を開放して近所の子どもたちを集め、キリスト教子ども集会をし、花畑の方は、いつか此処に教会が建つように祈っていたのである。父も母もこの地を個人の所有で終わらせる考えはなかった。一時肺結核に罹り、人生で一番苦しい時にイエス様に救われて病も癒され、定年まで勤めることができ、そして与えられた土地、建物を神様に捧げるのが、イエス様の喜び給うことだと定めていたのである。

父が80歳になった時、この願いをこめて、私に話を持ってきたのである。 感謝! ハレルヤ!

人ふたゝび汝をすてられたる者といはず 再びなんぢの地をあれたる者といはじ 却てなんぢをへフジバ(わが悦ぶところ)ととなへ なんぢの地をベウラ(配偶)ととなふべし そはエホバなんぢをよろこびたまふ なんぢの地は配偶をえん わかきものの處女(をとめ)をめとるごとく なんぢの子輩(こら)はなんぢを娶らん 新郎(はなむこ)の新婦(はなよめ)をよろこぶごとく なんぢの神なんぢを喜びたまふべし  -イザヤ62:4,5- 




スポンサーサイト
2014.06.04 / Top↑

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。