上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--.--.-- / Top↑
 妻が召されて思ったこと

人というものは失って得るものがある。最愛の者を失えば、多くのものを得るものだと知った。

妻が私の傍から去って行き、暫くは静かな日が過ぎたが、1週間ほど経った或る朝、妻が私を呼ぶ声を聞いた。とても澄んだ天使のような美しくきれいな声だった。「妻は間違いなく天国にいるんだな」と思った。素晴らしい天国の存在を実感した。

時の監督村井スワ先生はじめ多くの先生方や兄弟姉妹の篤き祈りの戴き、自らも祈りをもって立ち上がって行った。大学生の娘を頭に、高校生や中学生の娘、息子4人を抱えて、これからは妻の分も頑張っていかなければならない。娘たちが買い物や食事の支度をし、私自身も台所に立った。「自分事は自分でしよう」と声をかけた。

妻が召されて多くの方々がら頂いた心のこもった「御花料」は、とてもありがたかった。これでかなりあった借金を払うことができたのである。

実をいうと、私が斜めになりかかった会社で働いて得た収入だけでは、家計が賄えなかったのである。妻が和裁教室を開いて生徒から月謝を頂いた物を足してでもある。(妻は欲のない人で、仕事をさせていただくだけで自分の勉強になると言って多くは受け取らなかった)。それで食料や生活用品は、近所の店で付けで買い、給料が出たら支払うという約束だったが、次第に溜まりに溜っていったのである。

「お金があれば、高い店で付けで買わなくても、安い店で現金で買えるのにね」という妻の声を聞きながら、悪循環に悩まされてきたのだが、妻の死をもって与えられた「お金」でこの借金を一括返済し、ゼロになったのである。正に妻が命と引き換えに悪循環を断ってくれた気がした。

妻が召された翌年(1979年)の5月、関東大聖会の聖餐式の際に長い祈りの時間があった。私は祈りながら「神様へ」と題した手紙を書いていた。

「妻が召されて強く思うことは、自分も己に対して死ぬべきことだ。そしてイエス・キリストのため、福音のために生きて行こう・・」と、世の仕事を辞め、教会にあって神に仕え、福音に携わって生きようと心に誓ったのである。

だが、現実は厳しかった。社長に退職を願ったが、「貴方が辞めたら代わりになる人がいない」という理由で却下された。事実私の部署を担う人は、私以外にいなかった。私の意志は意志として、神による時期がまだ熟していなかったのである。

        1969-江別教会
                   江別教会の前で家族 1969・新年




スポンサーサイト
2014.03.06 / Top↑

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。