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人生、山あり谷あり

パウロ其の許に到りしに、同業なりしかば偕に居りて工(わざ)をなせり。彼らの業は幕屋製造なり。 -使徒行伝18:3-

使徒パウロが手職を持っていたことが記されている。私が家計を助けるため牽いては教会を維持するために暫しの間と思って、江別の軽印刷屋で仕事をしたことは前述の如くであるが、その後大きな波が押し寄せてくることになった。

会社が斜めに傾いたのである。概略を述べると、社長が印刷業から出版業に手を染めたことによる。詳しく記すと、社長は山岳会に入っていて、余暇に山登りをしていたのだが、趣味が高じて仕事となり、山岳雑誌を出版したのだった。

印刷屋ゆえに紙やインキは問屋から豊富に入手できた。実家の敷地に社屋を建て、オフセット印刷機や製版カメラ、刷版の製版設備も整えた。更に札幌駅近くの貸しビルに出版部の事務所を設け、取材スタッフも採用した。おそらく多額の資金を調達したことだろう。

そして意気込んで印刷開始! そこまでは良かったが、すぐに結果が出た。日販・東販など出版取次会社を通して全国の本屋に送られた雑誌は、間もなく返本の山となって帰ってきた。内容が北海道の山に限られていたため、全国市場に適用しなかったと言っても過言ではなかろう。

2,3年挑戦が続いたが、状況は変わらず、江別の印刷部門の利益も吸い取られて、出版部門の赤字の埋め合わせに回され、遂には札幌の出版部門は倒産し、江別の印刷部門も深手を負った。

全部が全部悪いというのではない。裸一貫から立ち上げて、次に狙った事業が不発に終わったのだ。謄写版とタイプライタという軽印刷から始まった会社が、出版事業を始めたことにより、技術を要するオフセット印刷を手にし、写真植字機も導入された。当時としては可なり高度な線に行ったのではなかろうか。

幸いにも江別の方は、江別市役所を始めとして、近隣の学校など昔からの馴染みのある所から仕事が来ていたので、青息吐息ながら、何とか息をつく事が出来た。

しかし給料の遅配は日常的となり、戦力のタイピストたちも次々辞めていくなど、筆紙に尽せぬことがあったのだが、記すのは止めておこう。とにかく与えられた場所として時が来るまで頑張ったのである。

今は天国にいる妻には、いろいろ辛抱させて申し訳なかったと思っている。

社会の中で働く体験をし、人の心も分かり、山も谷も味わったのは、皆私にとって必要なものであって、正しく主が導きくださったものと感謝して受け止めている。

            img004.jpg  江別市野幌にあった清水印刷




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2013.07.16 / Top↑

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