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キリスト村伝道

江別に「キリスト村」というのがあるという話しを人伝に聞いた。

それによると、札幌駅前で洋菓子の「ニシムラ」食品工業を経営していた熱心なキリスト教徒であり、教育家であった西村久蔵氏が、軍人となって戦争に手を貸した罪を悔いて、戦後の昭和22年(1947年)に相互扶助を目的とした農村の理想郷を作ろうと考え、江別の東野幌に「キリスト村」を建設し、有志を集めて入植させたという。

一時は、同じ江別の江別太にも「キリスト村」ができて計15戸になったが、西村氏は無理が高じて心臓病で倒れ、昭和28年に事業計画半ばにして亡くなった。 後を受けた賀川豊彦氏らによって、暫くの間事業は継続するが、遂に昭和38年に至って終焉を迎えた。

私が「キリスト村」の存在を知ったのはその頃である。

どのようなクリスチャンの人たちがいるのだろう。「水と霊」の福音を伝えたら受け入れる人がいるのではなかろうか? こう思って自転車で江別太の農村地帯へ出かけて行った。江別市から南幌町へ抜ける国道337号沿いである。

行ってみると、小規模農家が多く経営がなかなか大変なように思えた。それと「キリスト村」と言っても皆が一体になっている訳ではなく、別々の教会に属していて、互いの交わりも少ないことに気付いた。

私が[水と霊」について語ろうとしても、玄関先でお払い箱に遭って、次に向かうのであったが、主の導きで一軒の農家の方が中に招きいれてくれた。

小梨さんという老夫婦である。以前は教会に行っていたが、ここ暫く行っていないという。「水と霊」の福音を語ったら耳を傾けてくれ、「今度、教会に行きましょう」と言って訪ねて来られた。これを機縁に礼拝にも集われるようになり、「得心が行った」と言われて、教会に近くの早苗別川で秋晴れの日に洗礼を受けられた。

             小梨兄姉
                       洗礼式の日・小梨兄姉

その後、更に遠くに伝道に行こうと思い、北隣の岩見沢市を目指した。

先輩牧師である中国・内海教会の前田敏雄先生が、福山伝道を志し、鞆から福山まで自転車で行った証が励みになった。

江別から岩見沢へは22キロの道のりであるが、国道12号はまだ舗装されていない時代で、バラスを敷いた道であった。自転車をこいでいくのだが、トラックがバラスを巻き上げながらすぐ横を猛スピードで追い抜いて行く。危険きわまりない。

一度は途中で断念して教会に戻ったのだが、祈りが足りなかったと思い、再度挑戦した。

無事に岩見沢に到着し、家内が作ってくれたお握り弁当を食べ、目的の人を訪ねた。軽印刷業組合の役員をしていたKさんという人だった。私のいた江別のS孔版社によく出入りしている人である。 福音の話しをすると、自分はクリスチャンだという。「水と霊」を証すると聞いてはくれたが、受けるとは言われなかった。

クリスチャンと言われる人に、なぜ改めて伝道をするのかというと、使徒行伝19章にあるように、「汝ら信者となりしとき聖霊を受けしか」とパウロがエペソの信者たちに問うたとき、「いな、我らは聖霊の有ることすら聞かず」と返事があったように、今日も同様にクリスチャンと言っても、聖霊のことを知らず、受霊体験の無い人が多数いるからである。

さて、この時の伝道に就いては、私は空振りではなかったと思っている。 というのは、その後、岩見沢から教会に通ってくる姉妹ができたからである。

 
  
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2013.06.18 / Top↑

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