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樹は果によりて知られる

この故に汝らに告ぐ、人の凡ての罪と涜とは赦されん、されど御霊を涜すことは赦されじ。誰にても言(ことば)をもて人の子に逆ふ者は赦されん、然しど言をもて聖霊に逆ふ者は、この世にても後の世にても赦されじ、或は樹をも善しとし、果をも善しとせよ。或は樹をも悪しとし、果をも悪しとせよ。樹は果によりて知らるるなり。 -マタイ12:31~33-

江別駅前に「赤のれん」という名の店があった。いつも土曜日の休日には出入り口に赤いのれんが下がっていた。何の店かと思ってよく見ると、クリーニング店だったので、ワイシャツなどを持って行くようになった。

店番に若い女性がいて、行くうちに顔なじみになったので、洗濯物を頼んだあと、伝道をした。

すると、彼女が言うには、「この店の主人もクリスチャンです」とのこと。

話しによると、社長は元牧師で、今はこの仕事を専業にしており、毎週、札幌の教会に通って礼拝を守り、熱心に奉仕をしているとのこと。

けれども、社員として困ったことが一つあるという。

それは、従業員の給料から、什一献金と称して十分の一を差し引かれ、社長がそれを教会に献金していて、疑問に思うのだが、使われている身なので、仕方がないと思っているという話しである。

それは、おかしいのではないか?! 信仰は個人の自由でするもの! 信仰の有る無しにかかわらず社員だからといって献金を強制するのは間違いではないかと感じ、本当の信仰を持ったら良いですよと勧めて帰った。

暫く経った或る日のこと、外出から帰ると、教会の前の小路をこの姉妹が歩いているのに出会った。
珍しいことだったので「どうしてこちらへ?」と尋ねると、「配達があって」ということだった。

神様が導いて下さったと思い、「ここが教会です。ちょっと寄っていきませんか」というと応じてくれた。

妻もいたので、姉妹に福音を語り、聖霊待望会をしたら、間もなく異言で祈り始めたので聖霊を受けたことを確認したのだが、同時に、妻は霊眼が開かれて、丸く光り輝く聖霊が姉妹の上に降るのを見たという。妻はよく異象を見る人だった。

その後、この事が相手社長の知る所となり、あの教会に行ってはならないときついお咎めがあって、それが因で姉妹は退職に追い込まれたという。これは、代わって本店からきた姉から聞き残念に思ったことだが、

「その時、肉によりて生れし者、御霊によりて生れし者を責めしごとく今なほ然り」 とガラテヤ書4:29に記されてある通りだと考えたのである。

何時の時代でも、真理に立つ者を、サタンに従う者は責める。しかし、その播くところは刈る所となる。

いつの間にか、駅前の赤のれんは閉店となり、街中の繁華街にあった本店は、人手に渡って赤ちょうちんの飲食店に変わっていた。

「われ汝らに告ぐ、人の語る凡て虚しき言は、審判の日に糺さるべし。それは汝の言によりて義とせられ、汝の言によりて罪せらるるなり」 -マタイ12:36,37-



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2013.05.19 / Top↑

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