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大聖会の開催

イエス之御霊教会教団では、毎年大聖会が開催されている。平常は個々の教会であるが、大聖会で互に会うと「體は一つ、御霊は一つ、主は一つ、信仰は一つ、バプテスマは一つ、凡ての者の父なる神は一つなり」ということが、體と心と霊とで実感されるのである。

大聖会の目的に就いて、初代監督村井じゅん師はこう述べておられる。

「年に二回、春は関西、秋は関東に聖会を開催する事は、我らの年中行事になりました。諸教会の聖徒方と共に、主を崇め、主の御稜威を拝し度いと願ふて致した事が、思ひに勝る主の祝福を蒙って來たので、來る年も來る年も聖會を致さねば居れなくなったのであります。而して今や斯く導かれて來た主の聖旨が明白になりました。それは即ち第一に聖霊降臨の爲、第二は教会完成の爲」と。
(機関紙「聖霊」第57号ー昭和15年3月1日発行)

正しく大聖会の目的は、第一に聖霊降臨の為であり、聖霊を受けずして救いなし、異言の証は絶対的、と宣伝えることであり、水と霊とのバプテスマを受けるによって、我らの救いは全うせられるのである。また第二の教会完成は、聖霊を受けるによって、基なるキリストの上に教会が置かれ、新婦なる教会が完成されるのである。

イエス之御霊教会教団が発展するにしたがい、大聖会が諸処方々で開かれるようになった。昭和30年の恒例大聖会は、関東(東京・5月)、関西(和歌山・7月)、四国(立川・8月)、沖縄諸島(沖縄・10月)、大阪(大阪・10月)、南西諸島(沖永良部・11月)、の6教会が主催して開催された。

当時は、木曜日の夜の歓迎会に始まり、日曜日の午後の聖餐式に至るまで、毎日、朝・昼・夜と一日3回聖会が行われた。開催教会は「大聖会の主催教会」と呼ばれ、諸教会に案内状を送り、人数を取りまとめて監督に報告し、来会者の為に受付、食事や接待、宿泊の世話を行うなど、多忙ながらも喜びと感謝とをもって与えられた勤めを果した。案内状には必ず『指導者主御自身』と記したが、誠に以て大聖会は、主が導き、推し進め、全うし給うものであることを認知せしめられるのである。

第1回北海道大聖会が開催されたのは、昭和34年6月のことである。前年江別教会が設立されて、北海道に教会が二ヵ所興されたということで、時は来たり、札幌市琴似町にある札幌教会を会場にして行われた。この大聖会には監督村井じゅん先生、スワ先生ご夫妻、三多摩教会の木村先生が来道され、札幌教会の岸野牧師、日本聖書大学院を卒業したばかりの橋口牧師が連なり、私は江別の信者8名を同伴して出席した。

大聖会前の村井先生の回し状には、「久しく待望の北海道大聖会を開催致す事になりました。どうか、真の福音が、北海道全地に速やかに満たされますよう御加祷下さい」とあり、篤き祈りの裡に行われた大聖会であった。私たちは、大いなる感謝をもって主が開き給うた大聖会に出席したのであった。

この時、歌われたのが霊讃歌であった。鶴原玉姉妹によって作詞・作曲されたばかりで、まだ譜面が印刷されていなかった為、村井先生が紙に歌詞を大書して講壇に掲げ讃美をしたのだった。

また、私用で来道し、大聖会に出席した橋口牧師も、これを機縁に滝川で伝道を開始することになった。滝川のルーツは、ペンテコスト時代にK兄弟が出身地である、新十津川村と国鉄滝川機関区の友人たちに伝道したことから群が起こり、新十津川で家庭集会が続けられていたのを母体として、滝川に教会を興したものである。

以来、平成元年まで30年間、札幌教会で大聖会が行われ、私は近隣のこともあり、お手伝いをしたのだが、のち主に導きにより札幌市で道央教会を興すに及んで、平成3年より10年間、北海道大聖会の主催教会として主の用に用いられ、多くの事を主より学び体験することができた。一切は主によるものと聖名を崇めて感謝しているのである。

     北海道大聖会
       第1回 北海道大聖会 昭和34年6月 (中央に村井じゅん先生・スワ先生)
 



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2013.04.18 / Top↑

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