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パ ン 問 題

イエス之御霊教会の特色はと言えば、その一つに「牧師は無給であって、他に援助を請わない」というのがある。要するに、出発点から「空の鳥を見よ」の御言葉を信じ、神様によって養われる信仰生活体験するということである。

コリント前9:9~14に「穀物を碾(こな)す牛には口籠(くつご)を繫(か)くべからず」と記されているが、これは牛のために記されたのか、いな専ら福音に携る者のために記されているとある。レビ人が幕屋にあって神に仕え、民の捧げる什一によって支えられたように、牧師もその教会の信者の献金を主として、神が与えて下さるものによって生活が維持され、伝道が為されていくのが本筋である。

既に成功した教会にあっては、常道であるが、開拓伝道の初めに於いては、さまざまな試練や、戦いが伴うものである。信者の信仰が育ち、神のため教会の為ににささげる喜びが与えられ、神の祝福を体験するに至る迄は、牧師にとって忍耐と祈りが続くものである。

江別の教会発足の頃は、神が導いて興してくださった教会だから、すぐにその域に達すると思っていた。だが現実は厳しいものだった。家族持ちで伝道を開始し、子供が次々4人生れて・・与えられて、養う必要があった。

最初の冬は、食べ物が無い時があった。今日は一日寝ていようと床に入っていると、玄関を叩く人がいるので起きて出てみると黒川兄が立っていて、足元に俵が一俵おいてある。

「先生、実家からジャガイモを3俵送ってきたので、1俵持ってきました」と言う。

ヱホバエレ! 主備え給はん。それからはジャガイモばかり食べたのだった。

父がやってきて、帰りしなに献金をしていった。当時家賃が3000円に上ったので、父の5000円の献金はありがたかった。但し、父は外の教会の信者であるので、どうかな?という思いもあり、一方ある先生が「教会の必要は御父さんによって与えられるでしょう」と言われた言葉が耳に残っていて、神の御旨はどうなのだろうと思いつつ1年程過ぎた。

すると、父が来てこう言った。「今まで教会にささげる什一献金をここに持ってきた。けれど祝福されないので止めることにした。これからは自分の教会に献金する」と。

秩序の祝福というものがあって、

「わが殿(みや)に食物あらしめんために汝ら什一をすべて我が倉にたづさへきたれ而して是をもて我を試みわが天の窓をひらきて容べきところなきまでに恩澤(めぐみ)を汝らにそゝぐや否やを見るべし萬軍のヱホバこれを言ふ」-マラキ3:10-

わが殿というのは、自分の教会であってこれに從うのは”霊 ”であり、その反対は”肉 ”となる。・・ということで互に教えられてすっきりしたのだった。

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            昭和39年 集会後  子どもが4人揃う。
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2013.01.20 / Top↑

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