上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--.--.-- / Top↑
 私の出エジプト記

 出エジプト記といえば、モーセガ神の命に従い、パロの奴隷とされていたイスラエルの民をエジプトから引出して、紅海を経て、雲の柱・火の柱に導かれて、約束の地カナンを目指す壮大な聖書物語である。

旧約聖書の出来事は、新約聖書の雛型である故に、出エジプト記は、人をしてイエス・キリストの十字架を信じ、水と霊とのバプテスマを受けて、罪の世界から神の国へ入れられることの型と影である。

私も、俗世界であるこの世から救われて神の子とせられたのだが、神は更なる信仰の高嶺へ引き上げようとして、「第二の出エジプト記」を体験させてくださったのだった。

即ち、ペンテコステ教会から、至高き奥義を持つ「イエス之御霊教会」へと移して下さったのである。

イエス之御霊教会は、ヨハネ黙示録7:1~3に斯く記された

「一人の御使の、いける神の印を持ちて日の出づる方より登るを見たり」

とある預言の如く、神が末の日に日本に興し給うた真の全きキリスト教会である。

ここで云う神の印とは、聖霊のことであって、我らは救いの福音をきき、イエス・キリストを信じて約束の聖霊にて印せられ、嗣業の保証を受けたのである。 -エペソ1:13,14-

     *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *
  
私が、ペンテコスト教会を出ると言った時、父は涙をうかべて言った。

「イエス様を信じていて、こうして別れなければならないのか」と。

父は、義理固く、今まで世話になった先生や、家族を棄てて他所に行くことを義しとしなかった。

-私は、肉と霊とは別物だと思った。今は理解してもらえないが、神知り給うことだと思った。

母も言った。

「ペンテコスト教会から出ても、イエス之御霊教会に入らず、一人で教会をやったらよいのでは・・・」と。

-主の僕は、主の命に忠実に従うべき。私はイエス之御霊教会に入るのであって、中間はありえないことだと。

親戚の人たちも口々に言った。

「あなたを見込んでいたのに、なぜ辞めて行くの? 今までとおりこの教会にいれば、何不自由なく生活できるのに、どうして給料もない教会にいくの?」と。

ー我らは、神と富にかね仕えることはできない。

そいう中で、妻はただ一人、

「私はあなたに付いて行きます」と言った。

大方の人には、理解できないことだった。しかし私たち夫婦は神の御旨に従ったのである。 
 
それから年を重ねること20年、父と母の方からイエス之御霊教会に導かれて来て、ここに道央イエス之御霊教会が興されるようにならうとは、誰一人思いつかないことだった。



スポンサーサイト
2012.09.25 / Top↑

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。