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 イエス之御霊教会教団の牧師になる

1958年(昭和33年)10月、私は札幌を発って、青森から夜行急行「日本海」に乗って大阪に着いた。

当時、都島の大阪イエス之御霊教会で開かれていたイエス之御霊教会教団の恒例 「大阪大聖会」 に出席するためであった。 ( ※ 現在は行われていない。念のため)

主の導きによってUPC教会を去った私は、これから進むイエス之御霊教会の祝福に与ろうと願ったのである。

大阪教会に着いたものの、ここで私を知る人は極く僅かであった。

その一人S師は私が救われた時に、立ち会ってくださった牧師である。

私がUPCを出て、大聖会に来たと言うと非常に驚き、

「兄弟がUPCを出たらNUKIDA師が困るのではないか」といわれたが、

私が詳しい経緯をお話すると理解されて、来会しておられた村井じゅん監督に引き合わせてくださったのである。

私がこの大聖会に集うことは、先刻、村井先生に知らされていたので、先ずは来会のご挨拶をしたのである。

実を言うと、私はUPCの神学校で2ヵ年間学び、卒業して牧師免許証を与えられ、講壇に立つ身となったのだが、札幌UPC教会を出るに際し、牧師を辞任すると共に、取得したばかりの牧師免許証を返還し、文字通り無一物・裸一貫のすっきりした身となっていた。凡ては神の御心次第となっていたのである。

大聖会は4日間行われたが、私にとって祈ることは、イエス之御霊教会の一員として受け入れられるかどうかだった。いずれにしても私自身は白紙で、神の御心が成るように祈るのみだった。

3日目にS師が私に言われた。

「主の導きを感ずれば、村井先生は、今夜、夜中にでも兄弟に按手礼を施すでしょう」と。

4日目、最終日がきた。大聖会は午前、午後と粛々と行われ、最後の聖餐式が終わった。

その時、講壇に立たれていた村井先生が私の名を呼んで、講壇の前に椅子席を一つ設け、着座するようにと言われた。

その後に村井先生が会衆全員に向かって言われた言葉は、私は終生忘れない。

   『 私は、他の教会の先生を引き入れて泥棒しようとしているのではない。

   この先生に按手礼を施すことは、私にとっては生命をかけた問題であります。

   しかし、私はこの若い先生の将来の伝道の上に祝福のあるように祈らざるを得ない。

   この先生が按手礼を施されたのち、元の教団に戻るならそれでも良いです。

   そして、そこで自分の信ずる信仰を堂々と行えるならば、良いです。』

UPC教団という巨大な教団を向こうに回して、そこから出てきたばかりの一介の器のために、主の示しに従い、生命をかけて按手礼を施し、祝福してくださった村井先生の愛を私は忘れることはない。

東京に戻ったのち、村井先生は私にどこで伝道をするのかと尋ねられた。

私が、既に江別市で伝道をしていると告げると、

   『江別イエス之御霊教会』 の牧師に任命してくださった。

これが、私の伝道生涯の始まりである。



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2012.08.27 / Top↑

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