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 「水と霊」「悔改め」 か?

1955年(昭和30年)3月、NUKIDA師が休暇を終えて日本に戻ってきた。

二人の幼児の守り役には、村井師の計らいで、東京教会の信者である I 姉妹が同行してきた。

教会は暫くの間、宣教師のNUKIDA師と、留守を預かっていたK牧師の2教師制となった。

「北日本神学校」と名付けられた神学校が開設され、A 兄弟と私の二人が、1期生として入学した。

教授は二人で、NUKIDA師の講義は、旧約の出来事は、新約のイエス・キリストの影と型であるという事と、幕屋の研究(出エジプト記、レビ記)が主であった。聖書を忠実に学ぶという点で益があった。

教材は英語で、私が翻訳を任され、それを改めて教室で学ぶという変わった方法であった。

また一方K師は、以前在学していた「生駒聖書学院」の教材を元に講義を行った。

しかしNUKIDA師は、一旦、礼拝のメッセージとなるとガラリと変わり、ユナイト・ペンテコステ教会の教理を打ち出してきた。

繙く聖書の聖句は、使徒行伝2:38の、

「なんぢら悔い改めて、おのおの罪の赦を得んためにイエス・キリストの名によりてバプテスマを受けよ、然らば聖霊の賜物を受けん。」

であった。

ユナイト・ペンテコステ教会(U.P.C)では、悔い改めを強調する。

先ず悔い改めてから、という事は、聖書を学び、充分理解してから洗礼と聖霊を受けよというのである。

これでは、御霊なくして知識を求める世のキリスト教会の尾を引いていると言っても過言ではない。

イエス之御霊教会のように、先ず「水と霊」というのは、早まったやり方だというのである。

だが、初代キリスト教会ではどうであったかと云うと、使徒行伝8:12~18では、ピリポの伝道でイエス・キリストの名による洗礼が為され、これを聞いたエルサレムの教会は直ちにペテロとヨハネとを遣わし、二人は彼らが聖霊を受けるように祈り、手を按くと聖霊が降ったとある。

また使徒行伝10章では、コルネリオら異邦人がペテロを招いて福音を聞いた時に、聖霊が降り、彼らは異言を語り、神を崇めたとあって、これは神からの一方的な救いである。

使徒行伝2:38で云う、悔い改めとは、イエス・キリストに背を向けていた者が、不信仰から離れて、180度方向転換して、イエス・キリストをずることである。そこに神が働き、祝福の御霊を与えて下さるということであから、人が早いの遅いのという問題ではない。

後日、私がイエス之御霊教会の牧師になった後、村井監督が回し状と共に送ってくださった手紙の中に、

「 UPCの方々が、使2:38に立脚するは正しいが、余りにも悔い改めとの言に捕らわれて、使10章にある事実を忘れて、異邦人も主に望みを置くという真意を悟らず、マタイ23:13の状態にあるは、真に悲しきと云うも又哀れなり」

と記されてあるが、正にその通りである。

イエス之御霊教会と、ユナイト・ペンテコスト教会とをみて、単に教理が似ているから、共にペンテコステ派だという人がいるが、実態を知らずして言っているのであって、実際は全く別物なのである。

U.P.C のNUKIDA師がこの教理を打ち出してからのち、教会から霊の祝福が去っていくのを感じた。

私たちは今までと変わらず異言で祈るのだが、いくら祈っても、祈りが天に届く確信が来ないのである。

それは、恰もサウロから御霊が離れて、ダビデに移って行った如き、虚無感が教会を覆ったのであった。

翌年K師が、NUKDA師と信仰の相違を議論したのち、教会を去って行った。


   村井先生の手紙
                村井じゅん先生から戴いた手紙 昭和36年6月



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2012.06.29 / Top↑

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