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 始の確信

キリストは子として神の家を忠實に掌り給へり。我等もし確信と希望の誇とを終まで堅く保たば、神の家なり。
もし始の確信を終まで堅く保たば、我らはキリストに與る者となるなり。
-へブル書3:6,14-

昭和28年9月、救われて一年目を迎えた集会で、私はこの聖言をもって証をした。
神に選ばれ、救いの道に入り、日々主を見上げて進み得ることの如何に幸いなことか。信仰生活は始まったばかりだが、これを一生続けて行くと会衆の前で証したのである。

その直後、教会にとって思いもよらぬ悲しい出来事が待っていた。よしえ先生が天に召されたのである。まだ、伝道を始めて間もなく、これからという時であった。

6月に二女を出産したあと肥立ちが悪く、どう為されたのかと思っていたが、肺結核に罹っていて、病状が重く、そのまま召されたのだった。

告別式には東京から村井先生が来られて、準備や司式など葬儀万端滞りなく執り行われた。

翌年、貫田-NUKIDA-師の母親が案じてアイダホ州からやってきた。その勧めにより同師は一旦アメリカに二人の娘を連れて帰国することになった。留守中の教会のために村井師によってK師が派遣されてきた。

その年8月、貫田師の帰国に合せて、村井じゅん師はアメリカに招待され、船便で渡米し、6か月に亘り全米各地やカナダ等を巡回し、ユナイト・ペンテコステ教会や、ジーザス・ネーム教会、使徒教会・・・など聖霊派の諸教会の集会や、聖会でご用をされたが、貫田師も通訳として同行した。

その時、村井監督は、アメリカより数回にわたって、留守の教団の代務者である村井寿和子先生宛に手紙を送られたが、それが回し状となってイエス之御霊教会の諸教会に送られたのである。

そこには、巡回伝道の感想として、
「水と霊とを強く高潮して、待望会をする教会は実に恵まれている。異言の祈りが少ないから、霊の空気が希薄である。これらの事実を見て、日本の教会は異言の祈りと、待望会をすることを怠ってはならない」
と肝要なことを述べておられる。

また、
「今は正しく東方はリバイバルの秋であり、初代教会の復興の秋であり、使徒教会の再現の時であり、又魂の刈入れの秋である事を恒に悟りて、前進されんことを」
と、水と霊との福音をもって伝道するように鼓舞されたのである。

こうして、信仰生活の初期の段階で色々な事を見聞きし、学ばされた。
初めて関東大聖会に出席したのも此の時期である。

「神を愛する者、すなはち御旨によりて召されたる者の爲には、凡てのこと相働きて益となるを我らは知る」                                -ロマ書8:28-

との御言の故に主に感謝する。

                   img079.jpg  
                    昭和29年関東大聖会で私(左)

 
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2012.05.29 / Top↑

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