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 聖 書


なんぢの聖言はわがあしの燈火 わが道のひかりなり -詩篇119:105-

聖書はみな神の感動によるものにして教誨(おしへ)と譴責(いましめ)と矯正と義を薫陶するとに益あり。これ神の人の全くなりて、諸般(もろもろ)の善き業に備を全うせん爲なり。  -テモテ後書3:16,17-

私が初めて手にした聖書は、中学生の時で、ポケット型のヨハネ伝福音書だった。
その次は、救われた教会で頂いた四福音書と使徒行伝の分冊であった。

前にも書いたが、私は聖書を読んで救いを求めたのではない。何も知らない私に神様の方から近づいてきて、教会に導かれ、水と霊とのバプテスマを受けて救われたのである。その間わずか5日間の超スピードで救われたのである。

いわゆる世の教会では、聖書をじっくり学び、信仰に対する理解が深まってから洗礼を受けるそうだが、私の場合は全く当てはまらない。

がから、救われてから、キリスト教って何なんだろう? 聖書って一体何が書いてあるんだろうと興味を持って読むという調子であった。ただ教会に行って牧師の話しを聞き、家に帰ってから聖書を少しずつ読み、意味するところを考える繰り返しであった。

救われて1カ月ほどして、牧師が私に旧新約聖書を1冊くださった。
東京から応援伝道に来られた神学生のS兄弟が、帰京後聖書を教会に送ってくださったので、教会の手伝いをしている私に1冊プレゼントしますとの温かい言葉だった。

分厚い聖書を手にして大変嬉しく、早速読み始めたが難解で、2行読んでは1行戻る状態で、一通り読むのに2年はかかったように思う。

それから何度となく読んでいるわけだが、その時々初めて読んだような新鮮さが感じられることがある。また日毎の糧とも言われるように、霊を養ってくれるのも聖書ならでではある。

聖書は、真理の根本さえ解れば、あとは枝葉のようにわかるものである。要は「根本教義」と「真の教会」、「世々の経綸」が自分の物になっていれば、聖霊が教えて下さるのである。

「助主、即ちわが名によりて父の遣したまふ聖霊は、汝らに萬の事ををしへ、又すべて我が汝らに言ひしことを思ひ出さしむべし。」  -ヨハネ伝14:26-

因みに讃美は、救われた当時「リバイバル聖歌」を使っていた。これは流麗なメロディーの讃美歌とは違い、勇壮活発な歌が多かったので用いられたのだと思うが、特に歌詞はホーリネスの信仰が根底に流れていたため、純粋に霊なるイエス之御霊教会教団には相応しい讃美とは言えなかった。

昭和33年に至ってリバイバル聖歌は廃刊になり、代わって「聖歌」が日本福音連盟から発行された。これは、リバイバル聖歌の一部と讃美歌の一部が合体した内容であったため、なじむことはできなかった。

折も折、イエス之御霊教会に於いては、「霊泉歌」が鶴原玉姉妹によって作詞作曲されるようになリ、聖霊による詩と曲はマッチしていて、神の子の歌うに相応しいものができた。後に「霊讃歌」と改題して今日に至っている。

           seisyo.jpg 
                     当時の聖書とリバイバル聖歌
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2012.04.29 / Top↑
結 婚

神は言われた。
「我々にかたどり、我々に似せて、人を作ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這う者すべてを支配させよう。」
神は御自身にかたどって人を創造された。
神にかたどって創造された。
男と女に創造された。」
          -創世記1:26,27-

主なる神は言われた。
「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう。」
人はあらゆる家畜、空の鳥、野のあらゆる獣に名を付けたが、自分に合う助ける者はみつけることができなかった。
主なる神はそこで、人を深い眠りに落とされた。
人が眠り込むと、あばら骨の一部を抜き取り、その跡を肉でふさがれた。そして人から抜き取ったあばら骨で女を造り上げられた。主なる神が彼女を人のところへ連れて来られると、人は言った。
「ついに、これこそ
わたしの骨の骨
わたしの肉の肉。
これこそ、女(イシャー)と呼ぼう
まさに、男(イシュ)から取られたものだから。」
こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる。
人と妻は二人とも裸であったが、恥ずかしがりはしなかった。
          -創世記2:18~25-

聖書は人類最初の夫婦、アダムとエバに就いてこう言っている。私たちクリスチャンは、結婚は神によって定められた神聖なものであると考える。そして神の導きによって二人が会い、神と人とに祝福されて結婚するのが相応しいと思う。

アブラハムが息子イサクの嫁を探すために、僕をナホルの町に遣わして、リベカを連れ帰った物語は、心を和ませるものがある。-創世記24章-
   
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些か面はゆいが、私と妻との出会いを記そう。

証-9で触れたが、妻幸子は北海道最北の地宗谷郡猿払村の出身である。

若い時に自立の道を求めて札幌に出てきた。北海道ドレスメーカー女学院で洋裁を学んだが、その時の学友の一人がクリスチャンで、プレゼントしてくれた新約聖書を読み、キリスト教に関心を持つようになった。

洋裁の技術を身に付けて実家に帰り、若い人たちに教え、それを資金に、今度は和裁教室に通い、これをも身に付けた。後年、自ら和裁教室を開くようになる。

最愛の父が急死したので、愛を求めて再び札幌に出てきて下宿をし、近くの会社に勤めて会計係をしていた。

その頃、キリスト教会に通おうと思って近くの教会を訪ねたのだが、いつも鍵が掛かっていて不在だった。(集会日に牧師が通いで来ていたと人づてに聞いたという。)

或る日、従兄弟を訪ねて行くと、その家の近所の野原ででキリスト教の天幕伝道集会が開かれていた。そこですっと入って椅子に座り、耳を傾けた。

実は、その伝道会は、当時私のいた教会が夏の期間に開いていた伝道会であった。

これが機縁となって、幸子は教会に通うようになった。最初に来た日-1956,8,24-に聖霊待望会をし、受霊した。洗礼は-同年9,23-に豊平川で受けた。それからは礼拝はもとより、夜の祈祷会にも、路傍伝道があると聞くと、これにも参加した。

下宿先のHおばさんに教会で聖霊と洗礼を受けた証をすると、「幸ちゃんそれは本物だよ」と言ってくれた。一年後に、兄を天理教の布教師にもつこのおばさんが、自分自身も信じていた天理教を棄てて、冬の寒い日だったが、川で洗礼を受けて救われたのである。

幸子と私との間柄に個人的な感情は何もなかった。私は前年開校した北日本聖書神学校の2年生となり、教会の事務を兼ねて、信者の皆さんには公平に接し、幸子も一人の信者として通っていたのだった。

ただ、私は証-4に記したように神様から召命を受けていたので、もし配偶者となる人が現れるならば、私と同じく終生、主イエス・キリストに仕える人をと望んでいたのである。

その日が、やってきた。

ある礼拝日に、牧師が説教の中で会衆に向かい、
「皆さんの中で、生涯イエス様に従いたいと思う人は、今から讃美を歌いますから、前に出てきてください」
と呼びかけ、リバイバル聖歌195番の「何処までも行かん」を歌い始めた。

  ♪ したいまつる主の み招きある今
    十字架をとりつつ ゆかまし主と共に
    いづくまでも行かん いづくまでもゆかん
    いづくまでも行かん 愛する主と共に ♪

この讃美の間に、一人の姉妹が前に進み出て、講壇の前にひれ伏して祈り始めた。
その人が、幸子だった。
私は、思った。「この人だ!」と。 

ひと月ばかりして、父が私に言った。

父 「もうそろそろお前も身を固めたらいいと思うが、どうか?」
私 「まだ、早いと思うし、もう一年くらい経ってから考えたいと思う。」
父 「早いことはない。誰か好きな人はいるか?」
私 「特に好きな人はいないけれど、この人と思う人はいます。」
父 「誰だ、その人は?」
私 「高橋幸子姉妹です。」
父 「おお、高橋姉妹か。あの人は良い。私も賛成だ。こんど先生に話してみよう。」

牧師も賛成してくれて、あとはとんとん拍子で話が進んで行った。

これを聞きつけたT兄弟が「仲人を引き受けたい」と言ってきた。だが何もしないので、父自らが出かけて行って幸子と、幸子の母親に会って話をまとめてきた。

二人の結婚式は1957,11,27に行われた。式場は教会が手狭なため、北海道クリスチャンセンターのホールを借りた。ヌキダ牧師の司式により、両家の親や親戚、多くの兄弟姉妹、父の職場の人たちが出席され、盛大に挙げて戴いた。

新居は、幸子の会社の社長が、敷地内に2間の小さな家を持っていたので、そこに住むことになった。

私の持ち物は、母がしつらえてくれた寝具と柳行李2つ、中古の自転車1台だった。一方幸子は、箪笥1竿と茶箪笥。そして二人で買った小さな卓袱台一つ、これが二人の全財産であった。

こうして、私たちの新生活が始まった。

聖書の聖言のごとく、良き助け手を与えられ、二人の間に2男2女が与えられて感謝であった。

                  we   新婚当時の私と幸子


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2012.04.01 / Top↑

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