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御霊に導かれて  -No.2

教会の仕事

9月に救われて後、私は生きる望みが与えられた。何か仕事をしたいと思うようになった。しかし病み上がりの身である。長時間の勤務には耐えられないと知っていた。神様は凡て御存じで私のために良き道を備えて下さった。

二月ほど経った或る日の午後教会へ行くと、ヌキダ先生から「教会に勤めてくれまいか」とお話を頂いた。伝道の助けとなる人を探していたのだという。

2時間ほど前に、救われて間もない母が教会に来て「家庭の生活が苦しいから、外に働きに出たい」と言って祈って貰ったそうである。先生は「まだ小さい子供がいるのに、奥さんが働きに出るのは良くない。それよりも息子さんに教会の仕事をして貰えれば、それなりの賃金を上げることができるのでどうか?」という話を母にしたというのである。

折しも、父は職場を休職中で、給料が減俸するという家庭にとってピンチの時であった。思ってもいない展開になってきた。母に相談すると喜んでくれたので、二人で教会に行って、先生にこの仕事をお受けするので宜しくお願いしますと返事をした。

仕事の内容は、①教会の事務をとる、②子ども集会の教師をする、③先生ご夫妻に日本語を教える、④伝道文書の翻訳や印刷をする、など諸々のことで、始めは半日の仕事で良いが、体調が良くなれば一日お願いしたい、ということで、神の恵とはこういうものかと感謝して翌日から仕事に就いたのだった。

何もかも初めての体験である。万事手ほどきを受けながら行うのである。見習い兼実務者である。

①の事務は、信者方への手紙書きである。よしえ夫人の指導を受けてへブル書10:24,25を用いて礼拝を守るように勧める葉書を書いた。また伝道用の新聞折り込みチラシの作成、ポスター書きなど色々と仕事があった・・・。

②子供たちが毎週五、六十人集ってくる。その子たちに聖書の話をする。最初は膝がガタガタ震えた。

③先生ご夫妻に日本語を教える。テキストは小学校の国語読本である。どんな質問が出るかも分からないので、下調べに時間を用いた。

④翻訳の仕事がくるとは知らなんだ。実をいうと苦手の部類に属する。あゝ、もっと勉強しておけば良かったと悔やんだものゝ今更取り返しがきかず、兎に角やるしかないと辞書を片手に取り組んだ。それが、終わればガリ切りをして印刷である。

教会の機関紙 ”全き救い ”と言うのを謄写版で刷って、信者方に配布した。
今こうしてブログなど手がけているのも、その延長線上かもしれない。

⑤追加というか、教会にオルガンもピアノもなかった。だがアコーデオンがある。これを習って礼拝や伝道集会で弾いてもらいたいというのである。
イタリア製の80ベースのアコーデオンだ。これを手作りのケースに入れて2㎞離れた音楽の先生の所へ習いに行った。その先生は、私に楽譜書きを頼むのである。そんなこんなで色々な事を覚えた。

⑥今日は暇だと思って家にいると、先生がやってきて「新しい人が来たから証をして欲しい」と言う。教会と私の家とは、眼と鼻の先だから、先生にとって便利この上ない。私が証をし終えると、先生が「世々の経綸」を話して、聖霊待望会をする。お蔭で「世々の経綸」は空で覚えてしまった。

⑦先生ご夫妻が揃って外出する時は、留守番役を頼まれる。すると色々な人が訪ねてくる。その人たちに「世々の経綸」を話したり、聖霊待望会をしたり、代役をして、知らず知らずのうちに伝道が身に付いてきた。

月々教会から戴くものは、そのまま親に渡した。その十分の一は神にお返しした。そして改めて親から幾何の小遣いを貰った。
什一献金のことは、よしえ先生がマラキ書3:10~12を繙き、ここに祝福を受ける秘訣があると礼拝で話されたので、すぐ実行した。

    img045 a    img046.jpg
     ガリ版を手に教会へ 昭和29年         アコーデオンの練習

 神か富か

だが日を追って教会の仕事の量が多くなるにつれて、自分の心の中で葛藤が始まった。
と言うのは、画家になって、生涯絵筆を手にしたいと思っていたのだが、それが危うくなってきたのである。

旧制中学生の頃から、芸術に関する事柄に関心が高まり、特に絵を描くことが好きであった。

それが、学業半ばにして肺結核になり、一年間を棒に振って休学したのだが、復学したら美術部に入って絵に打ち込もうと決心したのである。それは望み通り実現したのだが、何たる皮肉か、そのために肺結核が再発し、咳や血痰は出るしで、にっちもさっちもいかない状態で卒業の日を迎え、学友がそれぞれの道に進むのをただ見つめるばかりだった。 あゝ我が人生に青春なし!

かてて加えて心臓病でぶっ倒れ、一年余りの自宅闘病生活を経た時に、前述の如く憐みに満ちたイエス様が救いの御手を差し伸べて下さったのだった。 ハレルヤ!

救われた当時の私は、教会の仕事の傍ら、スケッチブックを携えてモチーフを求めて歩くことが多かったが、教会での仕事の量が多くなると共に、自分の意のまゝにならなくなってきた。

そこで神に、自分の進む道を示して下さいと祈った。そして聖書を開くとこうあった。

「人は二人の主に兼事ふること能はず、或は、これを憎み、かれを愛し、或は、これに親しみ、かれを軽しむべければなり。汝ら神と富とに兼事ふること能はず。」  -マタイ伝6:24-

何度聖書を開いても、目に入るのは同じ意味の聖句ばかり。
神様が私に対して、御自分に從うように語りかけているのを感じながら、反面逃げようとしていた。

昭和28年4月26日にアメリカからS先生が来られ、礼拝の御用の後で質問会があった。私は先生にこう尋ねた。
「良い事でもしてはいけないことがあるのでしょうか?」
私は、絵を描くことは良い事だと思っている。それでも神がそれから遠ざけようとしている真意を知りたかったのである。

先生は、こう明確に答えて下さった。
「はい、あります。何事でも神を一番にしなければなりません。どのように良いことであっても、それを神より上にしてはいけません」

「はい、分かりました」と私は納得した。

そして、私はこれから後は、教会にあって神様のために働こうと心を定め、家に戻ると絵具箱も、スケッチブックも、手元にある画材の全てを片づけたのである。

      img043.jpg
             S先生の御用を聞いた日、父達の洗礼式に出発前   左端が私

 汝は我に從へ

人の心は何と弱いものか。あれほど心に決めたことなのに脆くも自ら崩れるとは・・・。

その後間もない5月7日のこと。
私は教会の用事で街に出た。行先は札幌市役所と中央郵便局である。郵便局は今のテレビ塔の北側にあった。

その帰りに、教会の方角に向かう西線6番の電車乗り場に行った。そこは札幌市のど真ん中の、中央区南1条西3丁目で、前に三越があり、後ろに大丸藤井セントラルがある。

電車が来る円山方向を見たが、その姿はない。一寸した隙が私の心に生じた。

すぐ後ろの大丸藤井商店は、札幌一の老舗の文房具専門店で、画材売り場があり、ギャラリーもあって個展などが行われていた。木造2階建ての建物で、高校時代からいつも出入りしていた馴染みの店だ。電車は来ないし時間もある。覘いてみようと中に入った。

2階のギャラリーへと螺旋階段を上がって行くと、どなたかの個展が開かれていて、30点余りの絵が壁面に掛けられていた。

私は、いつものように絵の前に立ち、一点一点観て行った。

だが、三点目まで行った所で、神様の前で決心した事を思い出した。自分は神様との約束を破っているではないか、そう思うと良心が咎め、絵が眼に入らなくなった。

「帰ろう!」

と階段を下りて、一階に立ったその時である!!

突然、一瞬にして視界が白黒の世界になり、感覚として、自分の足下にもくもくと雲のようなものが湧きあがって、体が浮き上がり、同時に板のように平な物が私の背中を物凄い力で押したのである。足は独りでに動き、前に向かって進み、文房具の陳列ケースの間を歩かされ、左に曲がってまた歩き、涼しい風に当たって、ハッと我に返ると店の出入り口の所に立っていたのだった。

そして、何と目の前の停留所に6番を付けた電車が停まっているではないか。

私は電車に飛び乗って、茫然と立ったままで (今のは何だったんだろう?) と暫く考えていた。そして教会に着くなり、すぐにこのことをヌキダ先生御夫妻に報告した。

「それは、天使ですよ。」

と先生は、答えた。

主の御使いが来て、私をギャラリーからその翼を以って押し出したのだった。

私は、気付かなかったけれど、主の御用をすべく選ばれていたのだ。私が、再び神様に従うことで迷わないように、この出来事によってはっきりと心と体に焼き付けて下さったのだ。

我キリストと偕に十字架につけられたり。最早われ生くるにあらず、キリスト我が内に在りて生くるなり。今われ肉体にて生くるは、我を愛して我がために己が身を捨て給ひし神の子を信ずるに由りて生くるなり -ガラテヤ書2:20-

その店、大丸藤井セントラルは、近代的なビルに建て直されたが、階段の場所はほぼ同じところにある。
買い物があって行く度に、何時もその時の事を思い出す。

私の背中は、いつもその時の感触を覚えている。
自分が、自分の意志で牧師になったのではないことを、いつも感じている。

人よりに非ず、人に由るにも非ず、イエス・キリスト及び之を死人の中より甦へらせ給ひし父なる神によりて使徒となれるパウロ   -ガラテヤ書1:1-

   *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *

             img071.jpg

                    当時の大丸商店 -ホームページより-


     P1010541a.jpg

                      現在の 大丸藤井セントラル
      店の前の市電の軌道は撤去され、停留所は100mほど西に移された。
      店の賑わいは、昔も今も変わらず、札幌一の文房具専門店の地位は揺るがない。

 

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2011.10.07 / Top↑

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