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御霊に導かれて -No.1

家族の救い
 

『 主イエスを信ぜよ、然らば汝も汝の家族も救はれん 』  -使徒行伝16:31-

「体験は教理に先立つ」と言うが、私の信仰生活のスタートは正にそれであった。

最初に気付いたのは、良心がすごく鋭敏になったことである。些細なことでも「それは良い、これは悪い」と心の中から微かな声がするのである。それで私は聖霊が中に宿っているのを感じたのだった。
「彼は聖霊と火とにて汝らにバプテスマを施さん」と、
私は、それまでの肉の人から霊の人に変えられて行くのを覚えた。

家族への伝道の発端は,「私は、こうして聖めて頂いたのだから、家族を教会へ連れて行き、みんな聖霊と洗礼を受けて聖めて頂こう」であった。
そして僅か二か月程の間に、七人家族中、入院している父を除く全員がイエス様によって救われたのである。

母の矢巻ヨシエ姉妹は、今年餅をついたら、来年の餅米の心配をするというほど取り越し苦労の多い人で、
「母さんみたいに苦労している人は、ほかにいない」
というのが口癖だったが、教会に連れて行って聖霊を受けた日から、その小言がぴったり止んだ。そして、教会に行くことがなによりの楽しみになり、いつも祈りに没頭していた。そして外出すると誰にでもイエス様の事を証していた。

弟たちや妹もスムーズに聖霊と洗礼を受けて救われた。

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     母ヨシエ姉妹(前列右端)の洗礼式         弟たちの洗礼式・豊平川をバックに


父の救い

私が救われて程なくして、母と二人で結核療養所に入っている父を見舞いに行った。 ほんの一年前に私は心臓病で倒れ、家で寝たきりの状態になり、父は肺結核で休職し、療養所に入ったのだった。

私は、父にキリスト教の信者になったと告げた。
父は、私の元気になった姿を見て喜び、そして言った。
「キリストの神様が、そんなにすばらしい神様だとは知らなかった。自分も退院したら洗礼を受ける」と。
数日後に父は、聖霊を頂いた。

父矢巻榮蔵兄弟が洗礼を受けたのは、翌年の昭和28年4月である。

実はこの時、全快して退院したのではなかった。健康保険の期限が来たので止む無く退院したのである。
当時は、現在のように保険料を支払ってさえいれば、いつまでも病院にかかれるのとは違い、同一の病気で一定期間を過ぎると保険が切れ、その後は全額自己負担支しなければならなかったのである。

父は、長期の療養生活の爲、給料の三分の一が減額され、家族の養育もあって、自費を払ってまで入院を続ける余裕など無かったのである。

でも選択肢は一つあった。それは退院と同時に洗礼を受け、イエス様だけに頼って生きて行くということだった。

父は兄弟姉妹の祝福の中に鴨々川でイエス・キリストの名による洗礼を受け、教会に通い、自宅療養を続けた。
 
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                   父矢巻榮蔵兄弟の洗礼式(前列右端)

父の復職

父は、休職して3年を迎えようとしていた。職場の札幌市交通局から復職するか、それとも退職するかを問うてきた。復職するには、全快したことを証明する医師の診断書を2通提出せよとのことである。

勿論復職して、定年の日まで働きたい。今ここでクビになるわけにはいかない。死活問題がかかっている。

祈りに祈って、札幌市中央保険所に行き、所長に会って事情を話し、診察を受けると「全快しています」とのこと。診断書を頂き、これは上首尾だと喜んだのは良かったが、次に行った結核療養所では、所長が言うには「あなたは全快していないのに、ここを自分から退院して行ったのだから、診断書を書くわけには行きません。書けば私が嘘を書いたことになりますからね」とにべもなく断られてしまった。

次に、私を往診してくれていた医院を訪ねたが、S先生の言うことには「息子さんは診たけれど、あなたは診ていないので分からないことは書けません・・」ということで、これまただめであった。

途方に暮れ、表に出て天を仰ぎ、「主よ、私を助けて下さい」と叫ぶように言うと、突然天から、
「健康診断を受けよ!」 という声が聞こえた。

神の御声だと思い、そこで、札幌医大病院を訪ねて訳を話し、健康診断を願うと、診察をし断層写真を撮ってくれた上で、「大丈夫です。病気の影はありますが、古いものです。今は治っていますから診断書を書きましょう」と言って書いてくれた。

イエス様のお蔭だと感謝して、それを持って、中央保険所を訪ねて、所長にお礼に言うと、
「それは良かった。では私も医大さんと同じ日付にして書き直してあげましょう」
と言って、新しく診断書を書いてくれた。

こうして、揃った2通の診断書を、交通局に提出し返答を待っていると、進退期限の1週間前に札幌市長の名で 「復職を命ずる」 という辞令が書留で送られてきた。家族皆で大喜びをし、教会に知らせて共に感謝の祈りを捧げたのである。

父は復職し、それから8年間健康で働き、無事に60歳の定年を迎えた。

退職金を得たので、土地を探して2軒分買い、片方に家を建てた。そして自分と家族を助けて下さったイエス様にこの土地を捧げ、やがてここに教会が建つように母と共に祈り続けた。
そして20年後、主の導きにより教会ができ、今、その土地に教会堂が建っている。 それが、
「道央イエス之御霊教会」 である。ハレルヤ!

    *   *   *   *   *   *   *   *   *   *   *   *   *    

❹ 洗礼式場跡 

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                           鴨々川の上流
札幌市の中心部を南北に流れる創成川。 源流は豊平川の取水樋門から発し、鴨々川となって中島公園を蛇行し、市街地に入って直線の創成川となる。
50年程前には、洗礼式は取水樋門付近の豊平川か、または鴨々川で行われていた。
今は、すっかり様子が変わってしまったが、往時を偲んで訪ねてみた。    -中島公園で-


  P1000332ーa

                           豊平川と河川敷
札幌市の母なる川、豊平川。この川の水で産湯を使い、この川の水を飲んで育った人は多い。
現在は、川が河川敷の左側を流れているが、当時は右側の芝生の辺りを流れていて、そこで洗礼式が行われていた。 
(奥の芝生を横切る灌木の部分に豊平川の水を鴨々川にひく溝があり、堤防に接して取水樋門がある) -幌平橋から-


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2011.09.07 / Top↑

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