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 救いの日                      

神いひ給ふ 『 われ恵のときに汝に聴き、救の日に汝を助けたり 』 と。
視よ今は恵のとき、視よ今は救の日なり
。     ーコリント後書6:2ー

昭和27年(1952年)9月10日は、私にとって聖霊を受けた記念すべき日である。

家の近くに春頃キリスト教の教会ができ、夏休みの頃には子供たちが盛んに出入りしていた。その中に混じって我が家の小学生の弟たちも行っていた。
話によると、「ペンテコステ教会」というらしい。聞き慣れない外来語の名称で覚えきれない。暫くは「へんて・・・」などと勝手にあだ名を付けて呼んでいた。

当時の私は、子供のころから病弱で、休学をして高校は出たものの、肺結核と心臓病で倒れ、一年近く家で寝たきりという青春などとは程遠い何とも哀れな状態でいた。

一家の柱と頼む父は51歳にして肺結核で仆れ、職場を休職して療養所に入り、家庭はほぼ壊滅状態で、母が近所の山に柴刈りに行き、冬の燃料の支度をする細々とした生活状態だった。

一方、その教会の活動は、夏ごろから活発になり、宣教師のN師や東京から応援伝道に來た神学生が近所の家々を訪問伝道して回り、我が家にも来たのである。母は「うちは仏教ですから」と言って断っていた。

そういう中で、私の心の中にふっと「教会に行けば神様がいるのではないか。神様がいるならば、きっと自分のような者も救ってくださるに違いない」という思いがきた。あとで振り返ってみるに聖霊が語りかけていたのだろう。
それからは、教会に行きたいという思いに駆られ、寝てばかりはいられず、床を離れ体ならしに外へ出て、教会の前を往ったり来たりする日がひと月ほど続いた。

秋も半ばの9月10日、電柱に 「真のキリスト教特別傳道集会」 と書いたポスターが貼ってあるのを見た。
「凡て労する者・重荷を負う者、われに来れ、われ汝らを休ません」と云う聖書の言葉が右上に書かれ、 講師、東京イエス之御霊教会牧師、村井じゅんとあり、
脇には 「来聴歓迎、聴講無料」 と書いてある。これは良し!!
会期は9月10日から14日までとあった。

(後日知ったことだが、村井先生は、この教会の応援伝道の爲に,この年の春に東京で開設した日本聖書大学院の学生二人を先に遣わし、御自身は最後の締め括りに来られたのである)

          村井 札幌に来られた村井先生      

その夜、S神学生の叩く太鼓の音が響き、「十字架にかかりたる救い主を見よや・・」と讃美の歌声が聞こえた。
私はその歌声に惹かれて、教会の前に行くと、彼は「どうぞお入りください」と声をかけてくれた。

中に入ると8畳間が二部屋あって、二、三十人ほどの人たちが集まっていた。奥の部屋に講壇が置かれ、そこで村井先生が説教をしておられた。 

私は先ずこの教会のどこに神様が祭ってあるのだろうと見回した。それらしいものはない。(ひょっとしたら、あの押入れの中かもしれない)などと・・・。あとで考えると愚かなことであったが、その時は真剣だった。

しかし、いつしか講壇でにこやかに語る村井先生の言葉に引き込まれ、喰入るように耳を傾けて聴き入り、私の心は捕えられて行った。

先生は、21歳の大正7年9月8日午後6時、岡山県の児島湾、小蒸気船上で世をはかなみ瀬戸内海に身を投げようと思い、涙していた時に、突然 「棄てよ」 という神の声を聴き、「はい」と答えると、天から聖霊がどっと降って異言を語り、神の実在を知り、救われて、以後神に從い伝道者になったという証であった。

そのように素晴らしい救いならば、ぜひ私も聖霊を受けたいと証を聴きながら、心中切に思った。

説教が終わると先生は、皆に目を向けてこう言われた。
「今夜、聖霊を受けたい人は手を挙げて下さい」と。
この呼びかけに、私は迷うことなく手を挙げた。

「今手を挙げた人は前に出て来て、聖霊を求めて、ハレルヤと言って祈ってください」
と先生は、私たちを前に招いて祈り始めた。
すると同席していた皆が一斉に「ハレルヤ、ハレルヤ・・・」と猛烈に祈り出した。

私は驚き、圧倒された。今いる所はこの世の中なのかと思った。此の一年の間、病のため家に閉じ籠り、静寂の只中に居た私にはあまりにも強烈な祈りであった。

逃げようとして、玄関の手前の板の間まで這うようにして行ったが、心臓が早鐘のようにバクバクして倒れてしまった。
これに気付いた教会の奥様が合図をするとS神学生が飛んできて、私をかき抱いて「ハレルヤと言って祈りましょう」と助祷してくれた。私は観念してそれに従い「ハレルヤ・・:」と祈ると、やがて心に平安がやってきた。
暫くして、彼は私が落ち着いてきたのを見定めたのであろう。「中に戻って、お祈りしましょう」と言った。彼に促されてもう一度部屋に戻り、祈りを続けると舌が次第に縺れてきた。

ずい分と長い時間祈っていたような気がする。「兄弟、聖霊を受けましたよ」と彼が言った。異言が口を突いて出てきたのだった。
祈り終えて辺りを見回すと、残っていたのは、教会の方々のほかは私一人だけだった。

若しもあの夜、教会から逃げ出していたなら、今日の私はなかっただろうと今にして思う。あれは、イエス様とサタンとの私を巡る綱引きだったのだ!

三日目に村井先生は、イエス・キリストが罪人の為に十字架に懸って死んで下さったと福音の真髄を語ってくださった。私は神の大きな愛を知った。そして止めどもなく涙が流れ落ちた。それと同時に今までの人生の苦難も悩みも消えて、暗闇から明るい日差しの中に移されたのを覚えたのである。

洗礼を受けたのは、伝道会最終日の9月14日の日曜日であった。場所は札幌市の中心を流れる豊平川である。教会から川まで母と神学生に支えながら歩いて行った。
「水に入ってはいけませんよ。心臓麻痺を起して死にますよ」と子供の頃、大病をした時にお医者に言われ、死を恐れ、水に入ったことはなかった私だったが、この時は、たとえ死んでも自分はイエス様が天国が待っているという平安な気持ちになった。
そしてこの伝道会で聖霊を受けた十数人の人たちと共に洗礼を受けたのである。

私が洗礼を受けたのは、ちょうど山の端に夕日の沈む時間だった。その瞬間、空に浮かぶ雲も、それを映す川面も美しい夕映えに染まり、私の前途を祝福してくれているように思えた。

主イエス・キリストの御名によってバプテスマを受け、水の中から起き上がった時、口から出た言葉は「有難うございます」であった。そして感謝の裡に家路についた。その日から私の新しい人生が始まったのである。

 「それ人の子の來たれるは、失せたる者を尋ねて救わんためなり」 -イエス・キリスト

           私_edited-1 救われた翌年の私
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2011.06.12 / Top↑

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